• 2024
    October

    『言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。』

    (ルカによる福音書18章14節)

    今月はクリスチャンである石破新総理の愛誦聖句を紹介します。
    イエスは、「自分を正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々」に対し「ファリサイ派と徴税人」という譬え話をしました。
     彼らが祈るために神殿に上った時、律法の教師であるファリサイ派の人は心の中でこのように祈りました。「神様、わたしは他の人たちのように罪を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でないことを感謝します。私はいつも律法を守っています。」 しかし、当時罪人と見做されていた徴税人は、遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながらこのように祈りました。「神様、罪人の私を憐れんでください。」
    ファリサイ派の人は公衆の面前では謙遜な発言をしていたかもしれません。謙遜を装うテクニックは大人になるほど身についてしまうものです。一方で徴税人は遠くに立っていたので、彼の祈りは誰にも気づかれなかったことでしょう。人はうわべを見ます。しかし主は心を見ておられるのです。

    愛する天のお父様 あなたのあまりに大きな憐れみに、感謝します アーメン

  • 2024
    September

    「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」

    (ヨハネの手紙一 4:10)

    聖書に示された愛は具体的です。その究極的な事例が、イエス・キリストが私たちの罪のために十字架にかかってくださったというものです。この一点が、道徳や他宗教と異なる点であり、人知には理解し難いことであり、またキリスト教の真髄のひとつです。確かに言えることは、この傷だらけの十字架から、全ての理屈を飛び越えて、醜い罪人の私たちの心のもとへ、「それでもなお、わたしはあなたを愛しているよ」という計り知れない愛が迫ってくるということです。だから、ヨハネは親しみを込めてこう続けました。「愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、私たちも互いに愛し合うべきです。」(11節)

    愛する天のお父様 あなたの計り知れない愛が、偽りではないことに感謝します。 アーメン

  • 2024
    July

    「しかし、わが名を畏れ敬うあなたたちには 義の太陽が昇る。」

    (マラキ書 3:20)

    ひまわり
    真夏に咲く一輪のひまわり 君はどこから来たの?
    どこへ行くの? すぐに枯れていく命なのに、どうしてそんなに輝いているの?
    青い海を君は知らない 白い雪を君は知らない
    ただ動かずにじっと 何かを見つめているだけ
    何も知らないはずなのに なんだか僕が何も知らない気分になるのはどうしてだろう

    …私たちはどこから来て、どこへ行くのかを知りません。しかし政治について語り、人間関係に悩み、各々の主張に混乱しています。ひまわりは私たちをよそに、ただ静かに青空の下に咲いています。真っ直ぐに天を見上げています。惑わされることない沈黙の花の上に、義の太陽が昇っています。

    愛する天のお父様 世間の海の嵐の中で、ただ単純にあなたを見上げます アーメン

  • 2024
    June

    「 雨も雪も、ひとたび天から降れば むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ 種蒔く人には種を与え 食べる人には糧を与える。」

    (イザヤ書55章10節)

    「そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も、むなしくは、わたしのもとに戻らない」と続きます。雨が降れば必ず私たちの糧につながるように、主が約束の言葉を与えれば必ず私たちの間で実現するという力強い宣言です。私たちはともすると、雨の低気圧に不平を漏らしてしまいます。しかし神様は、その雨を通して、励ましの言葉を与えます。その雨を通して、「父なる神は正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」とイエスさまは恵みを約束されます。梅雨の季節となりました。恵みの雨に感謝して、明るく過ごしていきましょう!

    愛する天のお父様 あなたの約束の言葉をありがとうございます。信じる心を与えてください。  アーメン

  • 2024
    May

    「 主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、言われた。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。・・・我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。 」

    (創世記11章5-7節)

    互いの言葉が分からず意思疎通ができなくなった人々は、塔の建設をあきらめ、全地に散っていきました。それほど言葉は私たちにとって重要であることが分かる一方で、言葉が通じないというだけで崩れる人間関係の希薄さを考えさせられます。言葉に頼りすぎる前にまず、他者を知ろうとする姿勢を大切にしていくことで、より良い関係、良い社会を築けるのではないでしょうか。あきらめて散ることなく、他者に寄り添い歩む心を育んでいきたいと願います。

    神さま 他者を理解することをあきらめることのないよう、強い心をお与えください。 アーメン

  • 2024
    April

    「 見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか。わたしは荒れ野に道を敷き 砂漠に大河を流れさせる。 」

     (イザヤ書43章19節)

    「見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。」このみことばは、生徒たちが選んで決定した2024年度の主題聖句です。選ばれた理由には、自分たちの未来に希望を持って歩みたいという思いがあるように感じます。神は、道のないところに道を、川のないところに川をつくられる方です。そんな神の祝福と導きを受けながら、生徒たち自身もまた、それぞれの目標や夢の実現に向けて努めてくれることを願います。教室に掲げられたこの聖句が、彼らを励ましてくれることでしょう。

    神さま いつも共にいてくださる神さまを信頼しつつ、前進していく力をお与えください。  アーメン

  • 2024
    March

    「 さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。 」

    (マタイによる福音書27章45-46節)

    先月半ばから、イエス・キリストが十字架にかかるまでの40日である受難節を過ごしています。イエス・キリストは十字架上で「わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」と叫びました。これは神を批判する言葉ではなく、「神に聞く祈り」です。彼は暗闇の中で、神と向き合いました。
    ときに私たちも、自分の生きる世界が闇に包まれ、神に見捨てられたような痛みを負うことがあります。祈ろうと思っても、何を祈ればいいのか、なんの言葉も出てこないときもあります。しかし与えられた試練の中で、私たちは一度立ち止まり、神と自分と向き合わなければなりません。試練の原因を考えるのではなく、その試練から何を学ぶべきなのか、目を閉じ、神に聞くことが大切なのです。

    神さま この試練を通して、私は何を学ぶべきでしょうか。どうか教え、導いてください。 アーメン

  • 2024
    February

    「 この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。 」

    (マルコによる福音書12章43-44節)

    これは神殿で多くの金持ちが多額の献金を献げる中、わずかな献金を献げた貧しい女性を見て語ったイエス・キリストの言葉です。金額ではなく、彼女の生活にある背景や心に抱く思いを見ておられます。
    私たちは生きる中でいつも、何を見ているでしょうか。ただ目に映るもの、表面的なもの、人の肩書きや外見、結果にばかり捉われることが多いように感じます。本当に大切なものは、なかなか目に見えません。でもだからこそ、大切なものを、本質を、見誤らないように他者との関わりの中で見極める目を養いたいと願います。

    神さま 目に映るものばかりに心を奪われることのないよう、知恵をお与えください。 アーメン

  • 2024
    January

    「 今、光は見えないが それは雲のかなたで輝いている。やがて風が吹き、雲を払うと北から黄金の光が射し おそるべき輝きが神を包むだろう。 」 

    (ヨブ記37章21-22節)

    2024年、新しい年を迎えられたことを感謝いたします。
    しかし、いくつもの悲しい出来事に「なぜこんなことが」という思いを隠せません。困難な状況に置かれている方々、深い悲しみのうちにおられる方々、お一人おひとりの上に主の平安と導きがあることを切にお祈りしております。今はたとえ光が見えなくとも、消えたわけではないのです。だから私たちも、目を伏せることなく顔を上げて歩みたいと願います。

    神さま あふれ出る悲しみ、怒りをどうか受け止めてください。あなたの翼の陰に隠し、瞳のように守ってください。 アーメン

  • 2023
    December

    「 天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。 」

    (ルカによる福音書1章28-31節)

    Merry Christmas!
    マリアが受胎告知を受けたとき、マリアは「戸惑った」と書かれており、それほど恐れた様子は読み取れません。では、天使は何に対して「恐れることはない」と伝えたのでしょうか。この状況で最も恐ろしいこと、それはこれからマリアの身に起こることです。未婚のマリアが聖霊によって身ごもるという非現実的な話が恐ろしいのはもちろんのこと、そんな話を一体誰が信じてくれるのか、婚約者ヨセフはどう考えるのか、さらにこれが婚約中の不貞行為と見なされた場合には石打ちの刑になる危険性がありました。“受胎告知”の名シーンは喜びの知らせというよりも、これからどんな過酷な現実が待っているのかと恐怖を生み出す知らせだったと言えるのです。しかし、天使は伝えます。「恐れることはない」と。
    今、私たちが恐れていることは何でしょうか。それがどんなに大きな問題でも、どんなにお先真っ暗でも、絶体絶命のピンチでも、神さまは聖書を通して「恐れることはない」と繰り返し語られています。神さまの導きを信じ、今握りしめている恐れを委ねていきましょう。

    今この世界で、暗く悲しい夜を過ごしているすべての人に、神さまの平安とクリスマスの喜びがありますように。アーメン

  • 2023
    November

    「 神はノアに仰せになった。「さあ、あなたもあなたの妻も、息子も嫁も、皆一緒に箱舟から出なさい。・・・」 そこで、ノアは息子や妻や嫁と共に外へ出た。ノアは主のために祭壇を築いた。そしてすべての清い家畜と清い鳥のうちから取り、焼き尽くす献げ物として祭壇の上にささげた。 」

    (創世記8章18-20節)

    聖書に記される「ノアの箱舟」のお話はとても有名です。絶えない人の悪に心を痛めた神が、洪水によって人間も動物も滅ぼすというストーリー。唯一ノアという男とその家族だけは、神の指示に従い箱舟に乗り生き延びます。何日も雨が降り続き、すべてが水で覆われました。そして遂に彼らが箱舟から出たのは、なんと1年1ヵ月後のことでした。
    私たちがもしノアと同じ状況にあったなら、箱舟から出てまず最初に何をするでしょうか。食糧の調達、住居の確保、洗髪を兼ねて海で泳ぐ・・・。ノアは、何をするよりもまず神に祈りをささげたのです。私たちの心がどこに向いているか、それは何を優先するかに表れます。本当に優先すべき大切なものが何であるか、しっかり見極め歩んでいきましょう。

    神さま 本当に大切なものを見失うことなく、正しく歩むことができるよう導いてください。 アーメン

  • 2023
    October

    「 初めに、神は天地を創造された。 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。 」

    (創世記1章1-2節)

    この季節、美しく咲くコスモスをよく目にします。コスモスは条件さえ揃えばどこでも咲くような丈夫な花ですが、一本一本の茎はとても細く繊細です。そのためコスモスは群生し、身を寄せ合って咲いています。互いが支え合うことで倒れないように生えているのですね。
    聖書には、神が混沌(=カオス)だった地を、秩序(=コスモス)あるものとされたと記されています。この世界は最初、秩序ある良いものだったのです。しかし今世界は、戦争や差別、貧困、環境問題など、人の手によるカオスな状況・状態が多くあります。私たちには、共に力を合わせて共に助け合いながら、神が造った秩序ある世界を守っていく責務があります。互いに手を取り合う大切さを、一面に美しく咲き誇るコスモスに教えられているような気がします。

    神さま この美しい世界や、他者、生き物を傷付けることなく、互いに守り合うことができますように。アーメン

  • 2023
    September

    「 だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。 」

    (マタイによる福音書5章41-42節)

    イエス・キリストがこの教えを語られた時代、ローマ兵にはユダヤ人に荷物運びを強制する権限がありました。一ミリオン(1.5km)運べと言われれば、ユダヤ人は従わなければなりません。それだけでも理不尽だと感じているユダヤの民衆に、イエス・キリストはさらにもう一ミリオン行ってあげなさいと言うのだから驚きです。しかし見方によっては、これは相手のためではなく自分のためになる行動ではないでしょうか。ただ強制させられた一ミリオンで終わらせず、自らもう一ミリオン行くことでその強制力を崩し、この行動は自分の意思で行った隣人愛だと考えることができます。惨めな自分ではなく、愛を実践する自分へと変わる、また相手に対しても憎しみではなく愛で応えることが可能になります。私たちも広い視野、広い心で日々隣人愛の実践に取り組んでいきたいですね。

    神さま 私たちの心を、自ら進んで隣人愛を行う心へと造り変えてください。 アーメン

  • 2023
    August

    「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」

    (フィリピの信徒への手紙4章6-7節)

    南北戦争における南軍の無名兵士の詩を紹介します。この詩は本校のエントランスにもひそかに掲示されています。

    大きなことを成し遂げるために力を与えてほしいと神に求めたのに、謙遜を学ぶように弱いものとされた。
    より偉大なことができるように健康を求めたのに、よりよいことができるようにと病気をいただいた。
    幸せになろうとして富を求めたのに、賢明であるようにと貧しさを授かった。
    世の中の人々の称賛を得ようとして成功を求めたのに、神を求め続けるようにと弱さを授かった。
    人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、あらゆることを喜べるようにと命を授かった。
    求めたものは一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた。
    神の意に添わぬものであるにもかかわらず、心の中の言い表せない祈りはすべて叶えられた。
    私はあらゆる人の中で最も豊かに祝福されたのだ。
    (渡辺和子 訳)

    神さま 私たちの願いよりも、最善を知っておられるあなたに依り頼み歩ませてください。 アーメン

  • 2023
    July

    「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。」

    (マタイによる福音書6章14-15節)

    昼休みの食堂は、お腹を空かせた高校生たちでごった返します。行列に並び、美味しそうなご飯を手に入れた生徒は、キョロキョロと食堂内のどこかに座っている自分の友人を探します。そして、友人を発見するとパッと明るい表情に変わります。ホッと安心できる存在、自然と笑顔になれる存在、そんな友人がいることはとても幸せです。

    ですが同時に、イエス・キリストは私たちに「あなたがたは世の光である」と語ります。決して「世の光になりなさい」ではありません。私たちはすでに、誰かの光なのです。私たちを通して誰かがホッとしてくれたら、笑顔になってくれたら嬉しいですね。それもまた、私たち自身の幸せになることでしょう。

    神さま 私たち一人ひとりの光を輝かせ、一人でも多くの人の喜びになりますように。 アーメン

  • 2023
    June

    「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。」

    (マタイによる福音書6章13節)

    塩は、私たちの生活に必要不可欠です。塩には様々な役割・効果がありますが、一つ挙げるならなんと言っても美味しい料理を作るために欠かせないということです。味気ない料理にひとつまみの塩を入れるだけで美味しさが完成します。イエス・キリストは、私たちがそんな存在だと語りました。一人ひとりが、とても重要で大切な存在だということですね。

    しかし、塩だけを食べることはしません。塩をスプーンですくいそのまま食べれば、誰もが吐き出してしまうでしょう。塩はあくまで料理の美味しさを引き出すために必要なのです。私たちも、自分の才能や知識を誰かのために働かせ、皆で喜びを分かち合えるよう努めたいと願います。生徒たちは今日も勉学に励んでいます。ここで得た知識が、自分を誇るためでなく、他者の喜びのために用いられますように。

    神さま 私たち一人ひとりに与えられた才能をしっかり磨き、皆の喜びのために仕えることができますように。 アーメン

  • 2023
    May

    「それゆえ、あなたがたは、心から喜んでいるのです。今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、賞賛と光栄と誉れとをもたらすのです。」

    (Ⅰペトロの手紙1章6-7節)

    ユーカリという植物があります。コアラがいつも食べているアレです。ユーカリのつぼみは、森林火災などの刺激がないと発芽しません。火によって葉が焼け落ちることにより、成長を妨げていた物質がなくなって発芽するのです。また、ユーカリは外側の樹皮が非常に燃えやすいため、火の付いた樹皮が幹から剥がれ落ちることで内側に火が燃え移ることはありません。樹皮が犠牲となり、内側の大切な部分は守られるのです。

    私たちが大きく成長するのもやはり、試練を通してだと言えるでしょう。つらく、苦しい試練が体力を奪っていくとき、それでも私たちの外にいて内にいてくださる主が、私たちの心を守ってくださいます。

    神さま いつも共にいてくださることを感謝します。

    ときにひどく疲れてしまう私たちの心と体を御手で癒してください。 アーメン

  • 2023
    April

    ― 善いサマリア人 ― 「ところが、旅をしていたサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』」

    (ルカによる福音書10章33-35節)

    新しい年度がスタートしました。今年度も皆で「敬神愛人」を心に刻み、歩んで参ります。

    さて、この聖書箇所には本校のスクールモットーである「敬神愛人」が語られており、「善いサマリア人」と小見出しが付けられています(新共同訳)。しかし本文を見ると、イエス・キリストがこのサマリア人を直接「善い」と言及している箇所はありません。弱っている人がいるとき、助けることが「善い」ことではなく「当然」のことだと、自ら手を差し伸べる者となれるよう共に努めていきたいと願います。

    神さま あなたから受ける愛によって、私たちも隣人を愛することができますように。 アーメン

  • 2023
    March

    「何を守るよりも、自分の心を守れ。そこに命の源がある。」 

    (箴言4:23)

    いつか見たドラマで「雨が降ったとき傘代わりにブランド鞄を頭に載せるのは偽物だから。鞄が濡れないように大事に抱えるのは本物だから。」というフレーズがありました。偽物か、本物か。見た目は変わらなくても、人のことは騙せたとしても、自分自身は騙せないのです。今日も自分の心と向き合いながら、誠実に生きていきましょう。

    神さま 私たちの行いによって、あなたの喜びが私たちの上にありますように。 アーメン

  • 2023
    February

    「草は枯れ、花はしぼむが  わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。」

    (イザヤ書40章8節)

    2月6日に発生したトルコ・シリア地震を憶えて祈りをささげます。

    主よ トルコ南東部で発生した地震により、今多くの苦しみと悲しみが溢れています。災害や病を前にするとき、私たちは無力さに打ちひしがれ、闇に覆われてしまうのです。

    どうか私たち一人ひとりの痛み、苦しみ、そのすべてをご存じである主が、この闇を照らす光となってください。
    今も、そしてこれからも主が彼らと、また私たちと共にいてくださることを信じ、感謝します。
    主イエス・キリストの御名によって祈ります。 アーメン

  • 2023
    January

    「心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず 常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。」

    (箴言3章5-6節)

    2023年、新しい年を迎えました。受験シーズンの今月は、多くの汗と涙が溢れることでしょう。今はただ、目標に向かって頑張っている皆さんを応援し、お祈りしております。

    受験だけでなく、人生にはいくつもの試練が訪れます。必死になって頑張っても自分の思うようにならないこと、果たしてこの努力に何の意味があるのかと心が折れそうになること、誰からも評価されず一人で孤独感に苛まれること、日々一生懸命生きている人ほど、その努力が報われないとき、深く傷付いてしまいます。

    しかし、すべてに神のはたらきがあり、人生のあらゆるピースはつながっていくのです。すべてのピースがつながったとき、そこにはきっと悲しみも苛立ちも孤独もありません。美しい未来に期待しつつ、新しい1年、また今日という1日を誠実に歩んでいきましょう。

    神さま 喜びの内に目覚め、日々祈りつつ、どんなことにも感謝する一年となりますように。アーメン

  • 2022
    December

    「エフラタのベツレヘムよ お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために イスラエルを治める者が出る。 彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。」

    (ミカ書5章1節)

    この「ユダ」の誕生は、創世記29章35節に記されています。ユダを産んだ母レアは、夫ヤコブに愛されないばかりでなく、その夫ヤコブはレアの妹であるラケルを心から愛していました。孤独と嫉妬に苦しむレアの姿が、レアの子どもたちの名前から想像できます。レアは7人の子を産みましたが、その度に「今度こそ夫は私を見てくれるだろう」と期待します。しかし、その期待は彼女の悲しみをより深めるものになっていたでしょう。そんなレアが4人目を産んだとき「今度は主をほめたたえます(ユダ)」と言って、その子をユダと名付けました。夫に執着していたレアが、主に心を向けたのです。ヤコブの12人の息子のうち、このユダが主イエス・キリストの系図に入れられました。

    今年は11月27日からアドベントに入りました。主イエス・キリストがこの世に来られた喜びを、一日一日味わっていきましょう。

    神さま 私たちの内にある孤独や悲しみを、あなたの光で照らし暖めてください。 アーメン

  • 2022
    November

    「主は彼に言われた。「一体、誰が人間に口を与えたのか。一体、誰が口を利けないようにし、耳を聞こえないようにし、目を見えるようにし、また見えなくするのか。主なるわたしではないか。さぁ、行くがよい。このわたしがあなたの口と共にあって、あなたが語るべきことを教えよう。」」

    (出エジプト記4章11-12節)

    この聖書箇所は、「奴隷生活を虐げられているイスラエルの人々をエジプトから連れ出しなさい」と、モーセが神から召命を受けるエピソードです。しかしモーセは、口下手であることなどを理由に神に逆らい、「どうか私ではなく別の人を…」と訴えます。あまりにしつこく拒むモーセに、神は怒りを発しながら「兄アロンが今、あなたに会おうとこちらに向かっている。語るべき言葉を彼の口に託すがよい。」と語りました。神は、自信のないモーセを見て、次の対策として兄アロンを送ったわけではありません。この時点で兄アロンは「向かっていた」のです。私たちが抱く恐れや弱さ、そのすべてを神はご存じです。そして、私たちが願うより前に、私たちに必要なものを備えてくださいます。

    神さま 弱くもろい私たちでありますが、あなたを信頼して一歩一歩力強く歩むことができますように。アーメン

  • 2022
    October

    「その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」」

    (創世記3章8-9節)

    神から禁じられていた実を食べてしまったアダムとエバは、神を避け木の間に隠れました。二人がどこにいるのか知らないはずがない全知全能の神は、あえて問いかけます。

    「どこにいるのか。」

    人は誰しも、時に迷い、時に間違え、時に座り込みます。私たちがどこにいようとも、神はいつも見守っておられます。しかし、「神との関係において今自分はどこにいるのか」と、私たち自身が自分を知り、省み、正しい場所へと立ち帰ることを神は願っておられます。

    神さま 私たちが迷う時、あなたの呼びかける声に気付き、そして応えていくことができる強さをお与えください。 アーメン

  • 2022
    September

    「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」

    (マタイ7章13-14節)

    この「入りなさい」とは、意志を持って自発的に入りなさいという意味です。特に何も考えず大勢が行く流れに乗って、目の前に広がる門に進んではなりません。どこから入るべきか自分でよく考え、探し、見極めて入ることが求められています。命の道を進むには、自分の意志が大切なのです。今日から2学期スタートです。生徒たちが、 Enter by the narrow gate(狭い門)と書かれた校門を通ってやってきます。

    神さま この学び舎で敬神愛人の御教えを学んだ生徒たちが、いつまでも真理を追い求め、正しい道を歩み続けるよう導いてください。 アーメン

  • 2022
    August

    「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。」

    (マタイによる福音書5章9節)

    <アッシジのフランチェスコ 平和への祈り>
    わたしを平和の道具にしてください。
    憎しみのあるところに愛を
    争いのあるところに和解を
    分裂には一致を 疑いには信仰を
    誤りには真理を 絶望には希望を
    悲しみには喜びを 闇には光をもたらすことができますように。
    わたしたちがあれこれ求めることを止め
    かえって慰められようとするよりも慰めることを
    理解されようとするよりも理解することを
    愛されようとするよりも愛することを望ませてください。
    与えるから受け、ゆるすからゆるされ
    死のうちに永遠に生きるのだから。 アーメン

  • 2022
    July

    「あなたに感謝をささげます。神よ、あなたに感謝をささげます。御名は私たちの近くにいまし 人々は驚くべき御業を物語ります。」

    (詩編75編2節)

    米国から来日した宣教師、F.C.クライン先生は、1887年7月11日に名古屋中学・高等学校の前身「名古屋英和学校」を創立しました。どんな情熱と使命感を持ってこの地に来られたのか、様々な困難に立ち向かう中でどんな葛藤があり、何に支えられていたのか、クライン先生に思いを馳せます。 クライン先生の親しい友人J.C.ブルームフィールド博士は、クライン先生の思い出を次のように記しています。「彼は祈りの人、愛の人、信仰の人、実行の人であった。彼が捧げる祈祷、彼の弁論が、いかに人々の心を感動させたか、私はいつまでも忘れることはできない。」 そんなクライン先生は疲労から健康を害し、止む無く帰国されました。帰国時のことが『名古屋学院百年史』にこう記されています。「名古屋を離れるとき、創立者クラインには確信があった。彼の意志を承け継ぐ人々の信仰と熱意とがあるところ、必ず名古屋英和学校は維持され、神の御恵みも豊かであろうと、彼は見送りの人々を激励した。」

    神さま これまでの長い歴史の中にも、またこれからも、名古屋学院を導き、共に歩まれる主に感謝いたします。また、多くの方々の祈りの上に今日の名古屋中学・高等学校があり、135周年を迎えられた幸いに感謝いたします。アーメン

  • 2022
    June

    「地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである。また土を耕す人もいなかった。しかし、水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した。」

    (創世記2章5-6節)

    本校の敷地にはたくさんのクローバーが生えています。水やりをしなくても、地や雨水だけで生き生き青々としている姿に、神の恵みを見ることができます。私たちの心は何によって潤されているでしょうか。湧き出る主の恵みを感じながら、歩んでいきましょう。

    神さま 心が飢え渇く時、神さまの恵みで潤う喜びを、すべての人に味わわせてください。アーメン

  • 2022
    May

    「あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。」

    (コロサイの信徒への手紙13章12-14節)

    この聖書の教えは、ただ「他者を愛しなさい、ゆるしなさい」とすすめているわけではありません。重要なのは、「あなたがたは神に…愛されているのですから」「主があなたがたを赦してくださったように」という部分です。私たちにとって、他者に関心や愛を向けることや、ゆるすことは容易なことではありません。しかし、そんな私たちを主は愛し、ゆるしてくださったのです。そのことを心に留めるとき、今の自分自身の姿・弱さを改めて省みることができるのではないでしょうか。

    神さま 世界の問題や身近な他者に対しても関心・愛を向けることのできない、弱い私たちの心を造り変えてください。愛を身に着け、日々歩むことができますように。 アーメン

  • 2022
    April

    「どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。」

    (エフェソの信徒への手紙6章18節)

    遠い国の平和のために、私たちにできることなど何もないと心を痛めることがあるかもしれません。しかし、私たちは祈ることができます。「たかが祈り」ではありません。祈りには、人を、社会を、世界を変える力があります。強い心を持って、平和のために、苦しむ人々のために、共に祈りましょう。

    神さま この世界に主の平和と救いをお与えください。今恐れの中にある人々、傷付いた人々の上に、主の深い慰めがありますように。あなたが彼らの右にいて、どんな時も守り導いてください。 アーメン

  • 2022
    March

    「主の御前には非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かにささやく声が聞こえた。」

    (列王記上19章11-12節)

    私たちが神を求めながらも、心を騒がせている出来事に気を取られているうちは、神の呼びかけに気付くことはできません。それらの騒がしい出来事の中には、主はおられないからです。私たちが目の前の問題にではなく、主に目をあげるとき、静かにささやく御声が聞こえるでしょう。あらゆる心配事や不安は絶えなくとも、主の導きを信じる強さを持ち、一歩ずつ歩んでいきましょう。

    神さま あらゆる形で呼びかけられる御声に、私たちが気付くことができますように。アーメン

  • 2022
    February

    「目を上げて、私は山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る 天地を造られた主のもとから。」

    (詩編121編1-2節)

    私たちは時に、人には理解してもらえない悩みや悲しみを抱えたり、誰とも共有できない痛みに苦しむことがあります。そんな時は、誰にも助けを求められず、押し潰されそうになるでしょう。しかし、聖書は語ります。「誰も助けてはくれない」「祈っても何も変わらない」、そう言って顔を伏せているのは自分自身であることを。目を上げてみれば、本当はもうずっと前から差し伸べられた助け手があることを。その悲しみに寄り添い、共に心を痛めている存在を。いつどんな時も、私たちの右には私たちを守る方がいてくださるのです。

    神さま 私たちのどんな小さな悲しみも、知っていてくださることを感謝します。アーメン

  • 2022
    January

    「私たちは自らの道を探し求めて 主に立ち帰ろう。天にいます神に向かって両手を上げ 心も挙げて言おう。」

    (哀歌3章40-41節)

    人生において、この先どこへ進めばいいか分からない、と思える時があります。そんな時は「主に立ち帰る必要がある」と聖書は教えています。私たちは、解決すべき問題や置かれている境遇、心を捉えるあらゆる感情にばかり目を奪われてしまいますが、問題の解決以前に、「神と私」の関係は正しいか、と問われています。神との正しい関係を築くこと、神に心を向けることで、心を支配している怒り、悲しみ、孤独、焦り、後悔から少しずつ解き放たれ、次に自分が進むべき道が見えてくるのです。新年、心新たに力強く歩んでいきましょう。

    神さま どんな時も、私たちが神さまを見上げることを忘れずにいられるよう、心を強めてください。アーメン

  • 2021
    December

    「見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み その名をインマヌエルと呼ぶ。」

    (イザヤ書7章14節)

    現代では、クリスマスと言えば楽しいイメージが定着しています。しかし、聖書に記されるクリスマス物語の背景には、様々な困難や悲しみがあるのです。現代に生きる私たちが、たとえどんな暗い世界や辛い環境にいても、暗闇を照らす光として神さまは独り子をこの世に送ってくださいました。「神は我々と共におられる(インマヌエル)」そのことを通して真の幸せや希望を見出せる、そんなメッセージがクリスマスには込められています。

    神さま 私たちの行く道があなたによって照らされ、また私たちが光の子としてふさわしく歩むことができますよう導いてください。アーメン

  • 2021
    November

    「怒りを解き、憤りを捨てよ。自分も悪事を謀ろうと、いら立ってはならない。」

    (詩編37編8節)

    旧約聖書 創世記4章には、カインとアベルの物語が記されています。兄カインに怒りの感情が芽生えたとき、カインは神に立ち帰ることなく、神との関係を自ら断ち、怒りに心を支配されてしまいました。そしてその結果、弟アベルの命を奪うという取り返しのつかない罪を犯したのです。
    私たちはどのような困難や境遇にあっても、いつも神に心を向け、正しさを見失わないよう努めていかなければなりません。今の自分の姿は神に喜ばれるものであるか、時に立ち止まってみましょう。

    神さま 私たちが怒りや苛立ちに心を支配されることなく、主に立ち帰って、正しく歩むことができますよう導いてください。アーメン

  • 2021
    October

    「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」

    (ヘブライ人への手紙11章1節)

    キリスト教における希望は、「こうなったらいいな」といった単なる期待や願望ではなく、神さまを信頼することで与えられる確信です。「神さまがいるから大丈夫」「今は分からなくても神さまの計画を信じよう」、そう神さまに信頼を置くことで希望が揺るがない確信に、強さになります。最初から分からなくていい、時には閉じこもって休んでもいい、すべての答えや解決策は神さまが備えてくださっているのだから。

    神さま どんな困難や苦しみがあっても、あなたを信頼し立ち上がる力を与えてください。アーメン

  • 2021
    September

    「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」

    (マルコによる福音書6章50節)

    聖書には主イエスが起こした奇跡の出来事が記されています。舟に乗った弟子たちが嵐に翻弄されています。そこへ主イエスが歩いてこられ「恐れるな」と語ります。そして主イエスが舟に乗ると嵐は静まったというのです。不思議な奇跡の物語です。コロナ感染危機という嵐が長く続き、私たちは恐れと不安の中、生活しています。そのただ中にあって、今日、主イエスが「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と語ってくれていることを信じます。信じることによって、奇跡はおこります。信じることによって絶望が希望に変わります。

    神様 いつもあなたが共にいてくださっていることを信じます。 今日あなたが「安心しなさい。恐れることはない」と語ってくださっていることを信じます。 アーメン