減災チーム、阿寺断層・木曽川河岸段丘・馬籠宿巡検をしました

 12月5日に本校文学部と合同で、中央本線坂下駅から阿寺断層・木曽川河岸段丘、馬籠宿まで巡検しました。減災チームと文学部の他に、当日は市立工芸高校「チーム減災」の生徒も参加し、総勢20名となりました。

 阿寺断層は、下呂から中津川市坂下を通る、長い活断層です。四日市から養老にかけてのの断層が起こしたとされる天正地震では、この阿寺断層は連動し、飛騨の戦国武将内ヶ島氏の居城、帰雲城を崩壊させました。内ヶ島氏は、戦勝の宴の最中にこの地震に遭い、戦争では無く、災害で一族郎党が全滅したのです。阿寺断層は今でも1000年に2~4mの単位でずれている活断層です。

 また、周辺は木曽川の河岸段丘が何層にも亘って形成されており、段丘崖からは、湧き水が流れ、そこに緑が形成されるか竹が植え込まれていました。竹は崖崩れを防ぐために植え込まれたのでしょう。

 このような河岸段丘も、地平からではあまりわかりにくかったのですが、坂下から馬籠へと向かう道中、山の上から見下ろすと、今まで歩いた路とともにくっきりと一望することができました。

 断層と、段丘を巡る生きた地理を勉強することができました。

 馬籠に着いたあとは文学部を中心に句作をし、吟行を行いました。

3月にはもう一つの断層である濃尾地震を起こした根尾谷断層に向かう予定です。